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NIAGARA TRIANGLE Vol.1 : ウィキペディア日本語版
NIAGARA TRIANGLE Vol.1[ないあがらとらいあんぐる ヴぉりゅーむわん]

NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(ナイアガラトライアングル ヴォリュームワン)は、1976年3月25日に発売されたナイアガラ・トライアングル(大滝詠一山下達郎伊藤銀次)通算1作目のスタジオ・アルバム。
== 解説 ==
1973年当時、大滝詠一のナイアガラ構想は、ノヴェルティー・タイプのココナツ・バンク、大滝詠一のポップス、シュガー・ベイブのメロディー・タイプ中心という三位一体構想だった。1974年9月にディストリビュート会社もエレックレコードに決まり、1975年4月に『SONGS』〔シュガー・ベイブSONGS1975年4月25日発売 NIAGARA ⁄ ELEC LP:NAL-0001〕、5月に『NIAGARA MOON』〔大滝詠一NIAGARA MOON』 1975年5月30日発売 NIAGARA ⁄ ELEC LP:NAL-0002〕がリリースされてようやくレーベルとしての本格的な活動が始まったが、その折にエレック・レコードが倒産、結局1976年、日本コロムビアと新契約を結んだ。それまで所属していたシティー・ミュージックも解散、そのとき設立したのがザ・ナイアガラ・エンタープライズだった。
『SONGS』〔『NIAGARA MOON』〔と連続リリースされた後の6月9日、当時のナイアガラでレコード制作と並んでもう一つの基幹活動となったラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』がスタートし、その最初のゲストとして伊藤銀次、山下達郎を迎えたのが第16回(9月29日)第17回(10月6日)だった。この番組がきっかけとなって、終了後に“トライアングル企画”を提案した。大滝にとっては新会社を作り、新たにコロムビアと契約するので、その第一弾として1973年からここまでの三人の活動を記録しておきたいという思いからの提案だった。ココナツ・バンクは1973年9月で解散、シュガー・ベイブもアルバム1枚をもってレーベルとの契約を終了していたため、1976年の契約時点でナイアガラのアーティストは大滝一人だけになっていたので、コロムビアとしては最初のアルバムだったが、ナイアガラ構想の事実上最後のアルバムだった。
この企画はアルバム『ティーンエイジ・トライアングル』〔James Darren, Shelley Fabares, Paul Petersen『Teenage Triangle』 1963年 Colpix LP-444, 『More Teenage Triangle』 1964年 Colpix LP-468〕をヒントにしたものだが、シンガー・ソングライター・プロデューサーの3人が、各々のプロジェクトを持ち寄って集まるというアルバムはそれまで類が無かった〔。おのおのが3曲、または4曲ずつ持ち寄り、プロデュースも各自が行うという体制でレコーディングは進められた。当初、このアルバムの“オチ”として大滝が密かに予定していたのは三人で歌う「ホンダラ行進曲」だった。ライブでカバーしたのにはそうした個人的背景があってのことだったが〔1975年11月22日 “大滝詠一 Live in 荻窪ロフト”〕、その前に「ナイアガラ音頭」のアイデアがラジオ番組に届き〔もともとは、大滝のラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』で、山下・伊藤の二人をゲストに迎えた“ナイアガラ特集”を聞いたリスナー“くりーむそーだすい”(ペンネーム)から番組宛に送られたハガキが始まりだったという。大滝は「『トライアングル』は75年の11月から(録音が)始まってるんだけど、75年の10月かな、くりーむそーだすいさんからハガキが来たのは。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』にね。そのハガキに『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のテーマ曲を変えろ、今のはダサいからと。『欽ちゃんのドーンとやってみよう!』が流行ってたんで、『銀ちゃんのドーンとやってみよう!』にしてディスク・ジョッキーは大滝から伊藤銀次に変えろって。で、向こう(『欽ドン!』)が<ニッコリ音頭>だから<ナイアガラ音頭>にしたらどうかって。この<ナイアガラ音頭>は面白いっていうんで、そのハガキはためといて、作ってから(ラジオで)ハガキを読もうと。で、ちゃんとハガキを読んだ日にかけてるわけだよね。作ったぞ、みたいなことで。でも本人は聞いてなかったって後で言ったんだけど。あんまり長いこと読まないからハガキがボツになったんだろうと思ったらしいけど」という(『レコード・コレクターズ』2006 No.4(ミュージック・マガジン)pp.62-68)。〕、当初はラジオ番組用の遊びのつもりで作ったが、これが「ホンダラ行進曲」に取って代わる楽曲として収録された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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